カーレース関連のニュースといえば、F1のニュースが多く放送されますよね。
鈴鹿サーキットや富士スピードウェイなどで開催される日本グランプリは、カーレースに興味のない私でもやっぱり気になります。
1987年にホンダの地元、鈴鹿サーキットでの始めての日本グランプリは、アイルトン・セナのカッコ良さに胸が高鳴ったものです。
中嶋悟選手もそりゃ応援しましたけど、同じチームメイトのセナは別格でした(^^;)
サンマリノグランプリで亡くなったとニュースで聞いた時は、とてもショックでした。国内でのカーレースグランプリしかゴールデンタイムで放送しなかったのに、セナへ追悼の意なのか、連日セナの過去のレースをニュースで放送されていましたよね。日本中のカーレースファンが泣いた年でした。
カーレースF1の歴史に残るレーシングドライバーは数多く存在しますが、通算90勝を勝ち取り、堂々の一位を引退後も保持し続けるカーレースドライバーといえば、皆さんご存知の赤い皇帝「ミハエル・シューマッハ」ですよね。
2006年9月11日、ミハイル・シューマッハが引退するという大きなニュースが世界に流れました。
7度もカーレースのワールドチャンピオンに輝き、プロストやセナを押しのけ過去のF1ドライバーの中で一位を築いています。ドイツ人唯一のF1チャンピオンでもあるそうです。
ドライバーテクニックはもちろんですが、頭脳で勝負するタイプの彼は、時折チャンピオンシップの懸かったレースで他のマシンに衝突してFIAに判定されるなど、ニュースの絶えない人でした。
カーレース中は批判のニュースも多くありましたが、人気もそれ以上に高く、彼の引退宣言がニュースで流れた時は世界中がビックリしたものです。
現在はフェラーリに在籍し、アドバイザーとして現役ドライバーを見守っているということです。
カーレースF1に参戦しているチームドライバーの中で、最も歴史に残るドライバーといったら、「アイルトン・セナ」だと思います。
カーレースでのタイトルを3回勝ち取り、世界一速いドライバーとして知られていましたが、イモラの悪夢による惨劇で死に至った時には、世界中を悲しみに包み込みました。
ドライバーでカーレース中に事故死した数は過去に27人いますが、F1の歴史上最も悲惨な事故だったと言われています。
過去4回ものタイトルを持つ「アラン・プロスト」もしかり。セナとの因縁の戦いもまた印象に強く、歴史に残すこととなりました。
セナ、プロストを押しのけ7回ものカーレースの世界チャンピオンに輝いたのは「ミハエル・シューマッハ」です。過去にも現在にもこれを更新した者はまだいません。F1の歴史に大きく残るタイトル数と言えるでしょう。